本日の一枚 姫路駅北口から見た姫路城
7日目は、姫路市のひめじ別所駅前から太子町役場付近まで歩く。
今朝は6時起床。テレビ体操。ホテルの朝食会場で朝食(バイキング形式)。ご当地メニューとして、明石焼き、にゅうめん、姫路おでんなどが用意されていた。
8時10分、姫路キャッスルホテルグランヴィリオホテルをチェックアウト。
姫路駅からJR神戸線に乗り、ひめじ別所駅へ。9時前、ひめじ別所駅前(別所公民館そば)を出発。
細い旧道を進む。晴天で、昨日よりも暖かく、歩いていてもとても気持ち良い。
国道2号を横断し、その先で播但道の高架下をくぐると、佐土という地域で、静かで落ち着いた家並みが続く。その先が御着(ごちゃく)。加古川-姫路間の間の宿(あいのしゅく)である御着宿があったところ。
右手に昔の趣きを残す立派な建物、小原家住宅。
その先、御着公会堂の前に、御着宿本陣跡の説明板が立っている。写真を撮っていたら、公会堂に来た男性が説明板の下に設置された木箱から「播磨御着」と書かれたリーフレットを出して、私にくれた。
JR神戸線の踏切と新幹線の高架下をくぐった先、西御着に、山陽道一里塚と書かれた標柱が立っている。
市川橋(市川)を渡る。橋から右手(川の上流側)を見ると山々がきれいだ。姫路宿が近付く。
京口橋(外堀川)が姫路宿の入口のようだ。その先、東光中学校のフェンス前に「外京口門跡の遷移」と「姫路城跡外京口門跡の説明板が立っている。
城のそばの宿場なので、街道筋は右に左に何回も曲がる。
アーケード街に入り、姫路駅前からの通りと交差する二階町東西交差点で右手を見ると、姫路城が見える。姫路城は新幹線の車窓からよく見ているが、街道歩き旅で見る姫路城はまた格別だ。
交差点の横断歩道を渡り、右(姫路城)方向に進むと、国府寺家本陣跡の説明板が立っている。
街道筋に戻り、アーケード街を進むと、左手に椀箱屋三木氏本陣跡の看板があると思ったが、見当たらなかった。
アーケード街を歩いている途中、たい焼き屋があったので2個購入。白鷺橋の近く、姫路城の埋門(うずみもん)跡付近で、姫路城天守を見ながら、そのたい焼きを食べた。
その後、龍野町を西進。
播磨高岡駅前を過ぎ、下手野に入ると、民家の植込みに山陽道一里塚跡の説明板が立っている。姫路市内の一里塚は西御着と下手野の2か所。
夢前橋((夢前川)を渡り、青山に入る。左手に歴史を感じさせる立派な建物が3軒続く。
国道2号に合流し、しばし国道を歩く。青山西5丁目交差点から左の道に入る。山田峠に向かう上り道を進む。
山田峠辺りから先が太子町になる。
峠から下ってすぐの左手に山陽道山田峠と書かれた標柱が立っている。そして、左手後方に戻るような形で草道が続いている。
これが本来の山田峠の道だろうと思い、進んで(戻って)みる。池のあるところまでは草が刈られていて歩きやすかったが、その先の小さな林の中には倒木などがあり、少し歩きにくかった。林を抜けると住宅地に出るが、舗装路との段差があり、階段などなく、枯れた草が積み重なって地面が見えない。滑ってケガなどしたくないので、無理せず、来た道を戻った。草が枯れているこの時期だから歩けたが、草の繁茂期はどうだろうか?
山田峠を下り、国道に合流し、しばらく国道を進む。車の通行量が多く、歩道部分が狭いので少し緊張して歩く。
原西交差点から右手の道に入ると、昔の趣きを残した家が多くあり、気持ち良く歩ける。
国道179号に合流。今日の昼は、たい焼き2個を食べただけなので、すき家で牛丼を食べる。
歩きを再開し、国道179号を西進。東保交差点の先で左の道に入ると鵤という地域。この辺りがかつて鵤(いかるが)宿があったところだろう。宿場を示すものはないが、要所に斑鳩地区歴史的景観形成地区の標石が立っている。
太子町庁舎南交差点の先に太子町役場がある。立派な庁舎だ。交流広場という屋外スペースにテーブルとイスが設置されている。天気が良く暖かいので、高校生だろうか、若い人たちが勉強していた。
庁舎南側の道路が西国街道であったことを示すため、道路そばの柱に西国街道の標識が設置されている。
15時30分、太子町役場の先(セブンイレブン兵庫太子下阿曽店前)に到着。
そこから歩いて宿へ。途中、お菓子屋さんがあり、もなかなど菓子3個を購入。15時45分、今日の宿、ビジネス旅館森重にチェックイン。
18時から宿のレストランで夕食。部屋で熱いお茶を飲みながら、今夕に買った菓子を食べる。
今日は、姫路城を見ることができた。繊細でとてもきれいなお城だ。そして、今日も静かな旧道筋を多く歩くことができた。今日も天候に恵まれ、昨日よりも気温が高く、途中からウインドブレーカーを脱いで歩いたほどだ。これほど良い天気が続く街道歩き旅は初めてだ。
今日歩いたルート